Saturday, June 29, 2013

クラウドに形容詞は必要ない - AWSの強さは"Cloud Father"とともにありき



クラウドコンピューティングという言葉が誕生したのは2006年、Googleの当時のCEOだったエリック・シュミット(Eric Schmidt)が最初に使ったとされている。だが"Cloud Father(クラウドの父)"の称号がふさわしい人物をひとり挙げるとするなら、それはシュミットではなくこの人 - AWSのCTOであるヴァーナー・ボーガス(Werner Vogels)をおいてほかにいない。6月19日(現地時間)、米サンフランシスコで開催されたGigaOM主催カンファレンス「Structure 2013」において、GigaOM Researchのリサーチディレクターは壇上のボーガスを、「現在のITはクラウド抜きでは語れず、クラウドはAmazon抜きでは語れず、そしてAmazonの成功は"Cloud Father"抜きでは語れない」と紹介している。その賞賛に異論を唱える人はいないだろう。

Structure 2013の会期中、ちょうどニュースになっていた話題のひとつがCIAのクラウドプラットフォームを巡るAWSとIBMの争いだった。結局、CIAはAWSを選ぶのだが、単純に金額だけ見ればIBMのほうが安く提供できたとも言われている。ボーガスはこれに対し、「顧客(CIA)はテクノロジとしてすぐれた、より深くダイブできるクラウドを自分にとっての適切なソリューションとして選んだだけのこと」とさらりと述べるに留めている。もはや「プライベートクラウドのほうがパブリッククラウドよりも信頼性が高い」という主張がAWSの数々の実績の前ではなんの意味もなさないことは、むしろ競合企業よりもユーザのほうが理解しているともいえる。

クラウド市場で圧倒的な強さを誇るAWSだが、ボーガスは「クラウドはwinner-take-all market(勝者がすべてを取る市場)ではない」とも認めている。どんなに強くとも100%のシェアを獲れるわけではなく、必ず競合のサービスを選ぶユーザが現れる。「なぜ、ユーザはAWSではなく競合のを選んだのか、そこを知ることが我々の新たなサービス開発につながる」というボーガスの言葉に、AWSにとっては競合の存在すらも成長の糧であることが伺える。

AWSはcloudという単語の前にいかなる形容詞をも付けることをよしとしない。IBMやOracle、Microsoft、VMwareといった競合が提唱する"信頼性の高いプライベートクラウド"や"オンプレミスとパブリック/プライベートが混在するハイブリッドクラウド"といった括りにAWSも含められることを嫌う。「エンタープライズのデータセンターは確実に少なくなるだろうけど、まだ数年はなくならないだろう。その過渡期に応じたサービスはもちろん提供していく」とボーガスはハイブリッドクラウドのニーズを認めてはいるが、本意はおそらく別だ。クラウドはクラウドでしかなく、そこにプライベートもパブリックもない。そしていまやすべてのデータはオンプレミスからクラウドへとその存在場所を変えつつある。クラウドはひとつ、データの置き場所もひとつ - Cloud Fatherの揺るぎない信念と自信は世界中のAWSネットワークのすみずみまで行き渡り、巨大なデータのゆりかごとしてどこまでも成長を続けていく。

Sunday, June 23, 2013

負ける戦いなら挑まない - パット・ゲルシンガーが見せるクラウドビジネスへの静かな自信


「プライベートクラウドにおけるVMwareの最大のライバルはMicrosoft。リソース、技術力、市場での実績、いずれも十分に脅威となる」 - 6月19日、米サンフランシスコで開催されたイベント「GigaOM Structure 2013」において、VMwareのCEOであるパット・ゲルシンガー(Pat Gelsinger)はこう発言した。クラウドビジネスへの本格的参入が注目されているVMwareだが、クラウド市場の圧倒的巨人であるAmazonではなく、Microsoftの名前をライバルの一番手に挙げたことに、会場の空気がすこしざわめく。

ゲルシンガーはもちろんAmazonの強さを認めている。だがそうであっても「Amazonがクラウドの世界ですべてを取っているとは思わない」と断言する。とくにエンタープライズ企業がメインユーザであるプライベートクラウドおよびハイブリッドクラウドの世界においては、VMwareは競合をはるかに凌駕する強さを発揮できる自信があるという。「世界トップ10に入る銀行のCIOから"Amazonではダメだ、エンタープライズグレードというものをわかっていない"という声をさっき聞いたばかりだ」と語るゲルシンガーだが、そこにはVMwareだからこそ、エンタープライズのニーズをすくい取れるという自信がはっきりと伝わってくる。

この人がIntelのCEO候補だったのはわずか3年前のことである。デスクトップPCの世界からストレージのトップベンダであるEMCに移籍し、2012年にはその傘下であるVMwareのCEOに就任、いまやクラウド市場において世界でもっとも影響力をもつエグゼクティブのひとりとなった。今後、否が応でも"Father of Cloud"、ベルナー・ボーガス(Werner Vogus)率いるAmazon Web Servicesとその戦略が比較されることになるが、ゲルシンガー自身はAWSとの対決にはあまり興味がないように見える。VMwareが獲れる市場にAWSは入ってくることができない - その自信がAmazonの独占状態とも言えるクラウド市場をどう塗り替えるのか、世界中が注目している。

Saturday, June 15, 2013

データベースが円筒形ではなくなる日はやってくる!? - シリコンバレー随一の美しさを誇るオラクル本社ビル群


サンフランシスコ空港から国道101号を南に10分ほどドライブすると、目の前にブルーに輝く巨大な円筒形のビル群が迫ってくる。シリコンバレーの入り口に圧倒的な存在感をもってそびえ立つこのオラクル本社を目にすると、IT企業にとってこの地こそが世界最高の舞台であることを実感せざるを得ない。

ビルの形状が円筒形であるのは、オラクルの事業を支えるデータベースを模しているからという話はよく知られている。大きな人工池を囲むように建てられたビル群は木々とともに美しいラグーンを形成し、水辺では水鳥が羽をやすめ、ITの会社だということを忘れさせるような解放的な雰囲気が漂う。一部のビルを除き、ラグーンの周囲やカフェテリアには外部からの出入りも許可されている。シリコンバレーを巡る機会があればぜひ訪れてみてほしい場所だ。

創業者であり、70歳を迎えながらなお現役でCEOを務めるラリー・エリソンはここに最初のビルを建てたとき、その番号を100(第1ビル)ではなく500(第5ビル)とした。100にしなかったのは「ビルを5棟建てられるまで会社を大きくしたかったから」だという。最初からピークの値を5倍に想定して設計していたというわけだ。結果、当初の期待を大きく上回る大企業へと成長したことは語るまでもないだろう。

だがITの世界は変化が速く、激しい。データベース市場で圧倒的な首位を誇り、大型買収を重ね、企業規模を拡大してきたオラクルだが、クラウドやビッグデータ、ソーシャルといった現在のメインストリームとなっている分野で強い存在感を示すことが難しくなってきている。トップを走り続けてきたデータベース事業においても、インメモリやNoSQLといった新たなトレンドに対してはつねに出遅れている印象を否めない。もしかしたら、データベースの象徴がディスクをあらわす円筒形である時代が終わってしまうのも、そう遠くはないのかもしれない。そのとき、このビルを本社にもつオラクルは、データベース市場でトップであり続けることができているのだろうか。

Friday, June 7, 2013

子どもたちこそが未来 - スティーブ・ウォズニアックが語る教育への思い


僕はエンジニアじゃなかったら小学校の教師になりたかった - 6月4日、米オーランドで開催された「IBM Innovate 2013」のゼネラルセッションに登場したスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)は、彼の登場を心待ちにしていた4000名の聴衆を裏切ることなく、お得意のユーモアをたっぷりと交えながらイノベーションのあり方について熱く語った。

幼いころからエンジニアリングにおける高いな能力を発揮していたウォズニアックだが、その才能を伸ばすことができたのは、好きなことに熱中する環境があったからだと振り返っている。「僕は自分の生涯を通じて教育がいかに重要かということを身に沁みて知っている。だからこそ、子どもたちに自分の時間を捧げる教師という仕事は非常に尊いと思っている。子どもたちこそが未来なのだから」

ゼネラルセッションでは、スティーブ・ジョブスと組んで最初に作り上げた歴史的遺産ともいえる「Apple I」の1台を教育機関に寄付したことも明かしている。Apple時代から後進の育成に熱心に取り組んでいたことはよく知られており、現在のIT業界に寄与したその功績ははかりしれない。天才的で独創的な技術力と発想力に人柄の魅力も加わって、いまも世界中の開発者から深い尊敬を込めて"ウォズ(Woz)"の愛称で親しまれているウォズニアック。偉大なイノベーターは教職の道に就かなくとも偉大な教育者であることを、その姿が教えてくれる。

Saturday, June 1, 2013

信念をもって"変わらない"スタイルを貫き通すLinus Torvalds


20年前、スマートフォンもタブレットもまだ世の中に出ておらず、Wintel(Windows + Intel)が幅を利かせていた時代、いったい誰が現在のLinuxの成功を想像できただろうか。フィンランド・ヘルシンキ大学の片隅で生まれた小さなカーネルは、現在、世界のあらゆるデバイス - スーパーコンピュータから組み込み機器に至るまでその勢力を拡大し、気づけば21世紀において世界でもっとも普及しているプラットフォームOSへと成長した。そしてその開発の中心にはいつもこの人 - Linus Torvaldsがいた。

5月30日、2年ぶりに来日したLinusは「LinuxCon Japan 2013」のキーノートでこう語っている。「Linuxにプランなんか最初からなかった。今もとくにない。でも関わっている人たちはそれぞれのプランがある。宇宙ステーションでもロボットでもスマートフォンでも、どんなにそのプランが違っていてもベースとなっているのはLinux、それでいいと思う」

時代にあわせてLinuxにはさまざまな機能が付加され、対応アーキテクチャもi386がなくなりARM関連が増えるなど大きく変わった。また開発のスタイルもLinus自身が生み出したGitをベースにした、プルリクエストによるマージ方式となっている。現在、GitはLinuxだけでなく、他のオープンソースにおける開発の主流となっている。

もっともLinus自身の開発に対するスタイルは20年前から驚くほど変わっていない。カーネルの肥大化を嫌い、パッチはできるだけシンプルなものを求め、インテグレーションの妨げとなる機能追加やユーザランドに影響を与える変更、そして特定のベンダに益する行為は決して認めない。このルールに抵触したメンテナーに対しては、ときにスラング満載の暴言を浴びせることもある。

天才的なコーディング能力と子供っぽさすら感じさせる強い開発者気質。彼が変わらないからこそ、Linuxは進化し続けることができる。だから世界中の開発者/ユーザはLinusをリスペクトし続けるのだ。ITの世界がどんなに変化しようとも、信念をもって変わらないことを選び続ける強さ - 世界を制する人には理由がある。