いつか米国にも、女性の大統領が誕生することは間違いないでしょう。でもその輝かしい称号がヒラリーに与えられる機会はもうありません。今回の選挙に敗北したこと以上に、ヒラリー・クリントンという傑出した女性政治家が大統領の座に就く日は永遠にやってこないのだという事実が、時間の経過とともに重く、つらく、じわじわとのしかかってきます。
ちょうど2年前の2014年、わたしはこここサンフランシスコで、ヒラリーをごく間近で見る機会に恵まれました。サンフランシスコを含むシリコンバレーのIT企業は民主党の重要な支持母体であり、その代表的企業であるSalesforce.comのカンファレンス「Dreamforce '14」にヒラリーがキーノートスピーカーとして登壇したのです。当時、ヒラリーはまだ大統領選への出馬宣言をしておらず、世間がその去就に注目していた時期でもありました。厳重な警戒体制のなか、プレスに許されたごく数分間の写真撮影の時間に至近距離で目にしたヒラリーは、思っていたよりずっと小柄で、世間で喧伝されている猛々しいイメージとは正反対の、そしてこう言うと失礼ですが、ほんとうに可愛らしい女性でした。あまりの可愛らしさに「こんなに可愛らしい女性が次のアメリカ大統領になるのか!」とひどく驚いた記憶があります。圧倒的なオーラというよりは、やさしくやわらかく、しかし誰もが引きつけられずにはいられない強い魅力をまとったひとでした。
公平な世界に必要なのは"オープンインターネット" ─「Dreamforce 2014」でヒラリー・クリントンが語ったこと
この記事にも書きましたが、ヒラリーとともに登壇したクラウス・シュワブ博士はヒラリーに対して「マダム・セクレタリー(Madame Secretary)」という、とても美しい響きと尊敬の念がこもった敬称で呼びかけていました。前国務長官であったヒラリーは世界で数人しかいない"マダム・セクレタリー"であることは間違いありませんが、しかし、彼女には"マダム・プレジデント(Madame President)"のほうがよりふさわしい - 1時間弱のスピーチですっかりヒラリーに魅了されたわたしは、2年後に"マダム・プレジデント"が誕生することを心の底から信じてこの記事を書き上げました。その2年後に、こういったかたちで自分の過去記事を紹介することになるとは微塵も思わずに。
いま、わたしはサンフランシスコ空港で日本への帰国便をまちながらこのエントリを書いています。10日前、米国に来たときはこんな気持ちで帰国することになるとは想像だにしていませんでした。ただ、10日前の自分とひとつだけ変わらない心情があるとするなら、ヒラリー・クリントンこそ米国初の"マダム・プレジデント"となるべき人物だったという思いでしょうか。若いときから貧しい人々や弱い立場の人々に心を寄せ、彼らのために身体を張って戦い、一方で知事から大統領になった夫を支えながら、女性やマイノリティの権利拡大を訴え続けたヒラリー。8年前、オバマに負け、それでもあきらめずに68歳という高齢で大統領候補になり、ようやく確実に栄光を手にしようとした瞬間、するりとそれは手のひらからこぼれ落ちてしまった…出張先のホテルの部屋で、彼女の敗戦を認めるスピーチをぼんやりと聞きながら、ふと、宇多田ヒカルの「花束を君に」の一節が心に浮かびました。
花束を君に贈ろう / 愛しい人 / 愛しい人 / どんな言葉並べても / 君を讃えるには足りないから / 今日は贈ろう / 涙色の花束を君に
今回の選挙結果に、米国民だけでなく、世界中の多くの人々が落胆し、涙を流しました。わたしもそのひとりです。それでもヒラリーがこれまで残してきた功績は何ひとつ消えません。たくさんの涙に彩られた美しい花束、これを受け取る資格があるのは、そしていまも"マダム・プレジデント"にもっともふさわしかった女性はヒラリー・クリントンただひとりだと思っています。ヒラリーがついにかなえられなかった初の女性大統領、名実ともに"マダム・プレジデント"となる女性に喜びの花束が届く日がそう遠くないことを願っています。
…それにしても、オバマからトランプって、米国のIT企業はこれからいったいどうなるのでしょうか。わたしの仕事もかなり先が見えなくなってしまいました。これが本当のディスラプションなんでしょうね。