Friday, April 26, 2013

世界のトップを魅了し続けるリチャード・ブランソンの成功哲学は"リスクテイクこそ我が人生"



メディア、音楽、航空、環境、そして宇宙 - 自身が手がけるあらゆるビジネスを成功に導き、Virginグループの総帥として今も世界を駆けるサー・リチャード・ブランソン。起業家であり冒険家でもある彼のリスクテイキングな経営スタイルは、世界中のトップエグゼクティブを魅了し続けており、IT業界もその例外ではない。大手エンタープライズベンダが開催するイベントやカンファレンスでは、しばしば特別ゲストとしてブランソン卿が登場する。4月21日 - 24日に渡りラスベガスで開催された「CA World 2013」では22日のスペシャルキーノートにブランソン卿が登壇し、5000名の聴衆を大喜びさせた。

「偉大な起業家は失敗から多くの学びと成長を得る。リスクは恐れたり避けたりするものではない」「エンジニアはもっと評価されてしかるべき。彼らはイノベーションで世界を変えているのにその評価が低すぎる」「ここにいる人々のほとんどが生きているうちに宇宙旅行に行けると思うよ」「来年の早いうちに家族と一緒にVirgin Galantic号で宇宙に行くつもり」

どんなに大きな夢を描いても、この人が語ればそれは実現可能な目標に変わる。きっと本当に、来年の今頃は「ブランソン卿、宇宙に行く」というヘッドラインがメディアのトップページを飾っているに違いない。

Saturday, April 20, 2013

世界を透明でオープンに - スタート時の理念がそのまま残るFacebookの旧社屋



Facebookが現在の社屋、メンロパークにある旧Sun Microsystemsの本社跡地を拡張、フランク・ゲーリー設計による新たなキャンパスを建設するというニュースを読んで、ふと、パロアルトにあった旧社屋のことを思い出した。

2011年12月に現在の社屋に移転するまで、Facebookの本拠地はカルトレインのパロアルト駅のすぐそば、スタンフォード大学も近いこの場所にあった。パロアルトをはじめ、サニーベール、クパチーノなど国道101号線沿いのエリアは、数多くのIT関連のスタートアップが本拠地に定める地域だ。Facebookも例に漏れず、一見静かな街並みを装いながら、水面下ではスタートアップどうしが激しく潰し合うこの地を創業の拠点に選んだ。その後の躍進についてはここで語るまでもないだろう。

写真は2008年5月に撮影した。このころ、FacebookはCOOにGoogleからシェリル・サンドバーグを迎え、ビジネスを大きく飛躍させている。周囲の環境に調和した、シンプルで機能的な3階建てのビル。正面玄関のガラスには白い「facebook」のロゴ、退屈してそうな警備員がひとりだけデスクの前に座っている。現在はこの社屋を離れ、世界最大のインターネット企業に数えられるようになり、創業者CEOのマーク・ザッカバーグは若き成功者として半ば伝説化された存在となった。だが、パロアルトのこの社屋でスタートしたときに掲げた理念 - 世界を透明でオープンなものに変える、それが世界を公平にするというスピリッツは、新社屋のデザインを見る限り、おそらくいまも何も変わっていない。

Thursday, April 11, 2013

300年後のITの世界を明日の予定のように語る孫正義の予見力

「スティーブ・ジョブスとの仲を取り持ってくれたのはラリー・エリソンだった。Appleを追い出され、スティーブが人生で一番つらい時期を送っていたころ、力になってやってほしいとラリーの自宅で紹介された」- 4月9日、3,000名近い聴衆を集めて行われた「Oracle CloudWorld Tokyo」(於グランドハイアット東京)の基調講演、サテライトで登場したOracle CEOのラリー・エリソンとともに、この日の主役を務めたのはソフトバンク 代表取締役社長の孫正義だった。

ソフトバンクがiPhoneを扱う権利を得たのは、ジョブスと孫の個人的な関係も強く影響したと言われるが、その間に立ったのがラリー・エリソンというのも興味深い。ラリーの自宅には湖かと見まがうような大きな池があり、その淵には何十本もの桜の樹が植えられているという。その桜を眺めながらジョブスとともに未来のコンピューティングについて語り合ったと振り返る孫社長。そこで語られた未来図は一般人では考えつくことのできない創造性にあふれていたことだろう。

「300年後の未来、ワンチップのコンピュータには人間の脳細胞をはるかに超えるトランジスタが搭載される。きっと人間以上に考える能力をもった脳型コンピュータを備えた知的ロボットが登場し、人類が解決できなかったさまさまな問題を解決できるだろう。また紙のように薄いチップをおでこに貼れば、それが脳幹とつながり、ネットワークともつながって、1000km離れた人間ともテレパシーのように会話できるかもしれない」と語る孫社長。ふつうの人間が語れば荒唐無稽の話でも、彼が語ればまるで明日の予定のように強い現実味を帯びて、我々の耳と心に響いてくる。未来を予見する人はそれを作る力も持っている、この人を見るとそう思わずにはいられない。

Friday, April 5, 2013

ケビン・リンチのApple移籍に象徴される5年という時間の長さ



AdobeのCTOを務めていたケビン・リンチ(Kevin Lynch)が同社を離れ、Appleに移籍する - はじめはただの噂かと思ったが、3月20日にはAppleのシニアバイスプレジデントがこれを認めた。すでにリンチのTwitterプロフィールにも"Apple"の文字が踊っている。

2005年にMacromediaがAdobeに買収されて以来、Macromediaの技術トップだったリンチはそのままAdobeでも重要なITアーキテクトとして迎えられ、CTOという高い役職を与えられた。以来、AdobeとFlashの顔として活躍してきたが、最も我々の記憶に残っているのはやはり、iPhoneへのFlash搭載をめぐるAppleとの一連の争いだろう。モバイルには適していないと頑としてFlashのiPhone/iPadへの搭載を拒んだ故スティーブ・ジョブスは「Adobeの技術者は怠け者ばかり」と言い放ち、これを受けてリンチもまた「Appleは19世紀の(米国の)鉄道会社のよう。ユーザにコストがかかる方針ばかり押し付けている」と激しく応戦した。結局、iPhoneにFlashが載ることはなく、それが原因で2011年、AdobeはモバイルFlashの開発中止に追い込まれることになる。このとき、きっとリンチの中で何かが終わったのだろう。

写真は2008年11月に米サンフランシスコで行われたAdobeの年次イベント「Adobe MAX 2008」の基調講演に登壇したリンチの姿だ。当時、AdobeはまだAppleがFlashを向いてくれる望みを捨てていなかった。iPhone上でFlashを動かすためのネイティブアプリを作成し、この講演でデモを披露していたこと、メディアから「いつFlashはiPhoneに搭載されるのか」としつこく訊かれ「Appleに聞いてくれ」とややキレ気味に答えていたことなどを思い出す。「携帯電話から大型スクリーンまで、あらゆるデバイス上でFlashを動かす。それがAdobeの使命」と強く意気込んでいたリンチ。そして5年後のいま、彼は敵対していたはずのAppleに移った。肩書きは不明だが、バイスプレジデントより上であることは間違いないだろう。IT業界の人間にとって、5年という時間は過去を水に流すのに十分過ぎる長さなのかもしれない。