Friday, December 13, 2013

Dell World 2013取材中

昨日(12/11)からDellの年次イベント「Dell World 2013」取材でテキサス州オースティンに出張しております。ちなみにテキサスは初めて。勝手にサボテンとかのイメージをもっていたので、東京と変わらない冬らしい寒さにかなり驚いております。

これから取材記事を書くので、ブログ書いているヒマはないんですが、とりあえず雰囲気の伝わりそうな写真だけアップしておきます。本日の最大の収穫はTeslaのイーロン・マスクCEOを生で見れたこと! めまいがしそうなくらい、本当に素敵なひとでした。

パートナーが出展する展示スペース
12日午前のマイケル・デルによるキーノート直前。参加者は7000名以上らしい
プレスカンファレンスでのマイケル・デル
真ん中がイーロン・マスク。素敵すぎて言葉にならない。オトモにしてほしい!!!

Teslaのような美学にあふれたクルマを作れるのはこの方ならではと実物を見て深く納得。「どうやったらイノベーションを起こせるんだい?」という質問にも「トライするだけだよ。ただひたすらトライ。あなたは昨日、何かにトライした?」とカッコよすぎるお答えが!しつこいですが、本当にテキサスきてよかったわと、数時間経ってもイーロンの余韻に浸っております…って原稿書かねば(_ _;)


Saturday, December 7, 2013

出戻りフリーランス

すごく久々の投稿になってしまいました。ブログはあんまり向いてないのはわかっているんですが、もう一度挑戦してみようと思い立ち、年末のこの忙しい時期にこっそり更新しています。

今月から再び完全にフリーランスに戻ることになりました。今までは小さな会社組織にしていたんですが、素人がよくよく考えもせず、軽い気持ちで会社の立ちあげに参加してしまったことを、2年経ってすごくすごく反省しています。現在、トラブル続きでちょっと疲弊していますが、すこし解決の陽の目が見えてきたかなー…と信じたい(泣)

つらいのは、事務所として借りていた場所を引き上げることで、だいすきな恵比寿を離れてしまうこと。まあ、別に恵比寿には食事なんかでよく行くんですが、仕事の拠点にできなくなったことは本当に痛い。でも仕方ないですね。なるべく遠くないうちに戻ってこれるように、仕事がんばるしかないかなーと。

フリーランスとしてあらためて発信の幅を拡げられるよう、ただいま粛々と準備中です。このブログの再スタートもその一環ということで、なるべく続くようにがんばってみます。つか、その前にバックオーダーで抱え込んでいる原稿をなんとかしないと…(_ _;)

Friday, August 30, 2013

ネットワークが変われば世界が変わる - Niciraを創ったマーチン・カサドの自信作「VMware NSX」


2012年7月、スタンフォード大学発のベンチャーNiciraをVMwareが約12億ドルで買収するというニュースは、ネットワーク業界にちょっとした衝撃をもたらした。設立から5年弱のNiciraは、次世代ネットワークと言われるSDN(Software Defined Network)の分野では高い技術力をもつ企業として、業界内では知る人ぞ知る存在だった。それだけに「VMwareは良い買い物をした」と評価されるかたわら、「VMwareとNiciraのアーキテクチャを統合するには相当な時間がかかるのでは」という憶測も流れた。

VMwareは昨年8月の年次イベント「VMworld 2012」において、1年後にはNiciraの技術を組み込んだ製品を発表すると公言した。買収した企業の技術統合を1年で行うのはそれほど容易ではない。だがVMwareはそのコミットメントを忠実に実行する。8月25日からサンフランシスコで開催された「VMworld 2013」では、VMwareが注力するSoftware Defined Datacenter(SDDC)を支える新製品としてネットワーク仮想化プラットフォーム「VMware NSX」が発表された。CEOのパット・ゲルシンガー(Pat Gelsinger)とともに、キーノートの壇上で新製品の発表を行ったのはマーチン・カサド(Martin Casado)、Niciraの創立メンバーであり、現在はVMwareのネットワーク部門CTOを務める人物である。

スタンフォード時代からスーパーギークとして知られていたカサドは「ネットワークは内向きになってはいけない。エッジから外に向かって自由に拡がっていくべき」という強い信念をもっている。そのためにはネットワークを物理デバイスから切り離して仮想化し、リソースプールから自由に割り当てるプロセスが欠かせない。SDNにフォーカスしたNiciraを創ったのはそうした理由からだったが、ベンチャーでSDNビジネスを展開する限界を感じていたころにVMwareから買収が提案されたという。互いの利益が一致したまさにうってつけのタイミングだったのだろう。「今はもうSDNというタームにとらわれる必要はないと思っている」というカサドの発言からは、Niciraからさらに先を行くネットワーク仮想化に挑んでいる姿がうかがえる。

「ネットワークの世界を変える」というスタンフォード時代から培った強いパッションはVMwareという大企業でVMware NSXとしてひとつのゴールを見ようとしている。正式ローンチは2013年末、VMware ESXがサーバの世界に与えた衝撃のように、VMware NSXもまたネットワークの世界を変えることができるのか、その実力が試される。

Saturday, July 20, 2013

Oracle Database 12cが示す5年後のトレンド予測の難しさ



昨年9月に米サンフランシスコで開催された「Oracle OpenWorld 2012」で発表された「Oracle Database 12c」だが、予想以上に検証作業に時間がかかったのか、正式出荷が開始されたのは今週7月17日であった。製品名にクラウドを表す"c"を付け、「クラウドのための最強のデータベース」と謳うオラクル。実際、12cの最大の特徴とされるマルチテナント機能は、複数のユーザ環境が混在するクラウドサービスにおいて、ユーザごとの独立性/分離性を保ちながら、利便性も集約性も損ねないとしている。

もっともオラクルCEOのラリー・エリソン(Larry Ellison)はもともとデータベースにマルチテナント機能を実装することに反対だったと昨年のOOWで語っている。マルチテナントはユーザのデータを危険に晒す、ずっとそう思い続けてきたが、開発チームからそのアーキテクチャの詳細を説明され、ようやく納得したという。ラリーに限らず、マルチテナントに嫌悪感を示すある年代以上のIT関係者は少なくない。SAP創業者のハッソ・プラットナー(Hasso Platner)もマルチテナントには懐疑的だったとされており、かわりにインメモリですべてのデータ処理を行うデータベース「SAP HANA」を考案するに至っている。

マルチテナントを嫌がるというのは、クラウドを嫌がると同義と言ってもいい。おそらくラリー・エリソンという人はクラウドを認めたくない気持ちがいまもあるのではないかと思えてならない。

この写真は2008年9月に行われたOracle OpenWorldで、ラリー・エリソン自身が初代Exadataを華々しく紹介したときのものである。Sun Microsystemsを買収する前でもあり、ハードウェアはHPによって提供された。ちなみに当時のHPのCEOは、現オラクルのプレジデントであるマーク・ハード(Mark Hurd)である。ずっとハードウェアを欲していたラリーとオラクルにとって、この初代Exadataの誕生がどれほど誇らしいものだったか、容易に想像がつく。当時、クラウドコンピューティングという言葉がバズワード化しかけていたが、ラリーはトレンドの動向よりも、ハードウェアを含むオラクルブランドの垂直統合化に熱中しはじめた。

もし、当時からオラクルがクラウドに対して全力で投資を行っていたなら、クラウド業界の勢力図はもう少し現在と違ったものになっていたかもしれない。5年後、フラグシップ製品のデータベースに12cと名付けたオラクルだが、その"cの世界"でのオラクルの存在感は同社がアピールするほど大きくない。5年先を見据えてビジネスを展開するというのは本当に難しい。

Saturday, June 29, 2013

クラウドに形容詞は必要ない - AWSの強さは"Cloud Father"とともにありき



クラウドコンピューティングという言葉が誕生したのは2006年、Googleの当時のCEOだったエリック・シュミット(Eric Schmidt)が最初に使ったとされている。だが"Cloud Father(クラウドの父)"の称号がふさわしい人物をひとり挙げるとするなら、それはシュミットではなくこの人 - AWSのCTOであるヴァーナー・ボーガス(Werner Vogels)をおいてほかにいない。6月19日(現地時間)、米サンフランシスコで開催されたGigaOM主催カンファレンス「Structure 2013」において、GigaOM Researchのリサーチディレクターは壇上のボーガスを、「現在のITはクラウド抜きでは語れず、クラウドはAmazon抜きでは語れず、そしてAmazonの成功は"Cloud Father"抜きでは語れない」と紹介している。その賞賛に異論を唱える人はいないだろう。

Structure 2013の会期中、ちょうどニュースになっていた話題のひとつがCIAのクラウドプラットフォームを巡るAWSとIBMの争いだった。結局、CIAはAWSを選ぶのだが、単純に金額だけ見ればIBMのほうが安く提供できたとも言われている。ボーガスはこれに対し、「顧客(CIA)はテクノロジとしてすぐれた、より深くダイブできるクラウドを自分にとっての適切なソリューションとして選んだだけのこと」とさらりと述べるに留めている。もはや「プライベートクラウドのほうがパブリッククラウドよりも信頼性が高い」という主張がAWSの数々の実績の前ではなんの意味もなさないことは、むしろ競合企業よりもユーザのほうが理解しているともいえる。

クラウド市場で圧倒的な強さを誇るAWSだが、ボーガスは「クラウドはwinner-take-all market(勝者がすべてを取る市場)ではない」とも認めている。どんなに強くとも100%のシェアを獲れるわけではなく、必ず競合のサービスを選ぶユーザが現れる。「なぜ、ユーザはAWSではなく競合のを選んだのか、そこを知ることが我々の新たなサービス開発につながる」というボーガスの言葉に、AWSにとっては競合の存在すらも成長の糧であることが伺える。

AWSはcloudという単語の前にいかなる形容詞をも付けることをよしとしない。IBMやOracle、Microsoft、VMwareといった競合が提唱する"信頼性の高いプライベートクラウド"や"オンプレミスとパブリック/プライベートが混在するハイブリッドクラウド"といった括りにAWSも含められることを嫌う。「エンタープライズのデータセンターは確実に少なくなるだろうけど、まだ数年はなくならないだろう。その過渡期に応じたサービスはもちろん提供していく」とボーガスはハイブリッドクラウドのニーズを認めてはいるが、本意はおそらく別だ。クラウドはクラウドでしかなく、そこにプライベートもパブリックもない。そしていまやすべてのデータはオンプレミスからクラウドへとその存在場所を変えつつある。クラウドはひとつ、データの置き場所もひとつ - Cloud Fatherの揺るぎない信念と自信は世界中のAWSネットワークのすみずみまで行き渡り、巨大なデータのゆりかごとしてどこまでも成長を続けていく。

Sunday, June 23, 2013

負ける戦いなら挑まない - パット・ゲルシンガーが見せるクラウドビジネスへの静かな自信


「プライベートクラウドにおけるVMwareの最大のライバルはMicrosoft。リソース、技術力、市場での実績、いずれも十分に脅威となる」 - 6月19日、米サンフランシスコで開催されたイベント「GigaOM Structure 2013」において、VMwareのCEOであるパット・ゲルシンガー(Pat Gelsinger)はこう発言した。クラウドビジネスへの本格的参入が注目されているVMwareだが、クラウド市場の圧倒的巨人であるAmazonではなく、Microsoftの名前をライバルの一番手に挙げたことに、会場の空気がすこしざわめく。

ゲルシンガーはもちろんAmazonの強さを認めている。だがそうであっても「Amazonがクラウドの世界ですべてを取っているとは思わない」と断言する。とくにエンタープライズ企業がメインユーザであるプライベートクラウドおよびハイブリッドクラウドの世界においては、VMwareは競合をはるかに凌駕する強さを発揮できる自信があるという。「世界トップ10に入る銀行のCIOから"Amazonではダメだ、エンタープライズグレードというものをわかっていない"という声をさっき聞いたばかりだ」と語るゲルシンガーだが、そこにはVMwareだからこそ、エンタープライズのニーズをすくい取れるという自信がはっきりと伝わってくる。

この人がIntelのCEO候補だったのはわずか3年前のことである。デスクトップPCの世界からストレージのトップベンダであるEMCに移籍し、2012年にはその傘下であるVMwareのCEOに就任、いまやクラウド市場において世界でもっとも影響力をもつエグゼクティブのひとりとなった。今後、否が応でも"Father of Cloud"、ベルナー・ボーガス(Werner Vogus)率いるAmazon Web Servicesとその戦略が比較されることになるが、ゲルシンガー自身はAWSとの対決にはあまり興味がないように見える。VMwareが獲れる市場にAWSは入ってくることができない - その自信がAmazonの独占状態とも言えるクラウド市場をどう塗り替えるのか、世界中が注目している。

Saturday, June 15, 2013

データベースが円筒形ではなくなる日はやってくる!? - シリコンバレー随一の美しさを誇るオラクル本社ビル群


サンフランシスコ空港から国道101号を南に10分ほどドライブすると、目の前にブルーに輝く巨大な円筒形のビル群が迫ってくる。シリコンバレーの入り口に圧倒的な存在感をもってそびえ立つこのオラクル本社を目にすると、IT企業にとってこの地こそが世界最高の舞台であることを実感せざるを得ない。

ビルの形状が円筒形であるのは、オラクルの事業を支えるデータベースを模しているからという話はよく知られている。大きな人工池を囲むように建てられたビル群は木々とともに美しいラグーンを形成し、水辺では水鳥が羽をやすめ、ITの会社だということを忘れさせるような解放的な雰囲気が漂う。一部のビルを除き、ラグーンの周囲やカフェテリアには外部からの出入りも許可されている。シリコンバレーを巡る機会があればぜひ訪れてみてほしい場所だ。

創業者であり、70歳を迎えながらなお現役でCEOを務めるラリー・エリソンはここに最初のビルを建てたとき、その番号を100(第1ビル)ではなく500(第5ビル)とした。100にしなかったのは「ビルを5棟建てられるまで会社を大きくしたかったから」だという。最初からピークの値を5倍に想定して設計していたというわけだ。結果、当初の期待を大きく上回る大企業へと成長したことは語るまでもないだろう。

だがITの世界は変化が速く、激しい。データベース市場で圧倒的な首位を誇り、大型買収を重ね、企業規模を拡大してきたオラクルだが、クラウドやビッグデータ、ソーシャルといった現在のメインストリームとなっている分野で強い存在感を示すことが難しくなってきている。トップを走り続けてきたデータベース事業においても、インメモリやNoSQLといった新たなトレンドに対してはつねに出遅れている印象を否めない。もしかしたら、データベースの象徴がディスクをあらわす円筒形である時代が終わってしまうのも、そう遠くはないのかもしれない。そのとき、このビルを本社にもつオラクルは、データベース市場でトップであり続けることができているのだろうか。

Friday, June 7, 2013

子どもたちこそが未来 - スティーブ・ウォズニアックが語る教育への思い


僕はエンジニアじゃなかったら小学校の教師になりたかった - 6月4日、米オーランドで開催された「IBM Innovate 2013」のゼネラルセッションに登場したスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)は、彼の登場を心待ちにしていた4000名の聴衆を裏切ることなく、お得意のユーモアをたっぷりと交えながらイノベーションのあり方について熱く語った。

幼いころからエンジニアリングにおける高いな能力を発揮していたウォズニアックだが、その才能を伸ばすことができたのは、好きなことに熱中する環境があったからだと振り返っている。「僕は自分の生涯を通じて教育がいかに重要かということを身に沁みて知っている。だからこそ、子どもたちに自分の時間を捧げる教師という仕事は非常に尊いと思っている。子どもたちこそが未来なのだから」

ゼネラルセッションでは、スティーブ・ジョブスと組んで最初に作り上げた歴史的遺産ともいえる「Apple I」の1台を教育機関に寄付したことも明かしている。Apple時代から後進の育成に熱心に取り組んでいたことはよく知られており、現在のIT業界に寄与したその功績ははかりしれない。天才的で独創的な技術力と発想力に人柄の魅力も加わって、いまも世界中の開発者から深い尊敬を込めて"ウォズ(Woz)"の愛称で親しまれているウォズニアック。偉大なイノベーターは教職の道に就かなくとも偉大な教育者であることを、その姿が教えてくれる。

Saturday, June 1, 2013

信念をもって"変わらない"スタイルを貫き通すLinus Torvalds


20年前、スマートフォンもタブレットもまだ世の中に出ておらず、Wintel(Windows + Intel)が幅を利かせていた時代、いったい誰が現在のLinuxの成功を想像できただろうか。フィンランド・ヘルシンキ大学の片隅で生まれた小さなカーネルは、現在、世界のあらゆるデバイス - スーパーコンピュータから組み込み機器に至るまでその勢力を拡大し、気づけば21世紀において世界でもっとも普及しているプラットフォームOSへと成長した。そしてその開発の中心にはいつもこの人 - Linus Torvaldsがいた。

5月30日、2年ぶりに来日したLinusは「LinuxCon Japan 2013」のキーノートでこう語っている。「Linuxにプランなんか最初からなかった。今もとくにない。でも関わっている人たちはそれぞれのプランがある。宇宙ステーションでもロボットでもスマートフォンでも、どんなにそのプランが違っていてもベースとなっているのはLinux、それでいいと思う」

時代にあわせてLinuxにはさまざまな機能が付加され、対応アーキテクチャもi386がなくなりARM関連が増えるなど大きく変わった。また開発のスタイルもLinus自身が生み出したGitをベースにした、プルリクエストによるマージ方式となっている。現在、GitはLinuxだけでなく、他のオープンソースにおける開発の主流となっている。

もっともLinus自身の開発に対するスタイルは20年前から驚くほど変わっていない。カーネルの肥大化を嫌い、パッチはできるだけシンプルなものを求め、インテグレーションの妨げとなる機能追加やユーザランドに影響を与える変更、そして特定のベンダに益する行為は決して認めない。このルールに抵触したメンテナーに対しては、ときにスラング満載の暴言を浴びせることもある。

天才的なコーディング能力と子供っぽさすら感じさせる強い開発者気質。彼が変わらないからこそ、Linuxは進化し続けることができる。だから世界中の開発者/ユーザはLinusをリスペクトし続けるのだ。ITの世界がどんなに変化しようとも、信念をもって変わらないことを選び続ける強さ - 世界を制する人には理由がある。

Saturday, May 18, 2013

ポール・オッテリーニがインテルに残した正と負の遺産


5月15日、世界最大の半導体メーカーであるIntelを指揮し続けてきたポール・オッテリーニ(Paul Otellini)CEOが、事前のアナウンスの通り静かに引退した。8年間のCEO時代を含め、40年の長きに渡りシリコンバレーの象徴たる巨艦を率いてきたオッテリーニ。いわゆる"Wintel"時代はまさしく彼の独壇場だった。歴代のどのCEOよりも高い収益を記録し、Intelに莫大な利益をもたらした経営者としてその業績に対する評価はいまも高い。だが、ここ1、2年においては、タブレットやスマートフォンといったモバイルデバイス市場への進出にことごとく失敗、頼みの綱だったウルトラブックもさほどふるわず、結果としてオッテリーニみずからが自身に対して引導を渡すことになる。

写真は2008年、サンフランシスコで行われた「Oracle OpenWorld 2008」のゲストキーノートに登壇したときのものだ。iPhoneの登場から1年あまり、世界が徐々にモバイルへと目を向けつつあるものの、まだx86はその隆盛を失っていなかった。手のひらに収まるほどの小さなデバイスが巨大企業のトップを引退に追い込むきっかけとなることを想像できた人間は、その当時、オッテリーニ自身も含めてひとりもいなかったはずだ。

オッテリーニの後を継いでCEOに就任したのはジョン・クルザニッチ、COOとしてオッテリーニを支え続けてきた人物である。市場の流れは確実にモバイルにあり、PCへと戻ることはおそらくない。オッテリーニの過去の栄光をすべてかき消してしまったモバイルという激流に、巨艦・Intelの新CEOはどう立ち向かうのか。世界中のIT関係者がその手腕に注目している。

Tuesday, May 7, 2013

祝紫綬褒章! 誰よりも確実に未来を見据える浅川智恵子が次に目指すもの


浅川智恵子という女性の名前を初めて知ったのは2009年、彼女がIBMのフェローに昇格したときだった。全盲の日本人女性がIBMフェローになったというニュースを聞いたとき、この栄誉ある職位を勝ち得た女性の業績とその人となりに強く引かれた。

小学生時代のプールでの事故がきっかけで中学2年で完全に失明した浅川だが、悲嘆にくれる人生を選ぶかわりに、ソフトウェア開発の道を志す。その後、学生研究員として採用されたIBMの基礎研究所に正式入所、デジタル点字システム、ホームページリーダー、音声ブラウザなど視覚障害者のための数々の技術を世に送り出し、Webアクセシビリティ研究の第一人者となっていく。彼女の下でアクセシビリティの研究をしたいと志願する若手研究員の数は、毎年、世界中から引きも切らないという。

写真は2010年12月、日本IBMの箱崎事業所でインタビューしたときのものだ。「もともと楽天家というか、何か悪いことが起こっても“しょうがない、別の方法を考えるか”という感じなんです。目が見えなくなったときも、あまり深く考えこまなかったですね」と楽しそうに答えてくれた笑顔が印象に残っている。「いまとても重要に思っているのは、これから日本が高齢化社会を迎えたとき、ITでどこまで支援できるかということ。実際、高齢化が進むのは日本だけではなく、多くの国が今後直面する問題です。一足早くそのときを迎える日本は、ほかの国のロールモデルになれるチャンスがあります。 障害者が使いやすいシステムをこれまでいろいろ研究してきましたが、その成果を今度は高齢者支援にも役立てていきたいですね。新しいアイデアがいろいろ浮かんできて、研究チームの若者と一緒に取り組んでいます」(2010年インタビュー時)

4月29日に発表された2013年春の紫綬褒章の受賞者一覧には、松任谷由実や熊川哲也とともに浅川智恵子の名前が連なっている。あらゆるハンデを持ち前の明るさと世界が認める実力で乗り越えてきた彼女にこそ、その栄誉はふさわしい。だがその目はもう、すぐそこにある未来を誰よりも確実に捉えているに違いない。

Thursday, May 2, 2013

クパチーノの象徴はまだしばらくこのままで



Facebookの旧社屋を紹介したコラムを読み返して、そういえばクパチーノにあるApple本社のデザインに似ていたことを思い出した。

ご存知の方も多いだろうが、Appleは現在、故スティーブ・ジョブスが考案したといわれる新社屋"Mothership(マザーシップ)"ことCampus 2(キャンパス2)を、現本社から1kmほど離れた場所に建設する予定となっている。その近未来的なリング状のデザインや50億ドルとも言われる建設予定費が話題となり、計画が発表された2011年からたびたびメディアを賑わしてきた。先日、同社は近隣の住民に対し、アップデートした建設計画を公開、当初の予定から1年伸びた2016年に完成/移転するとしている。

Appleは社屋をキャンパスと呼んでいる。現キャンパスは敷地こそ広大だが、シリコンバレーにある他のIT企業と比較してそれほど巨大でもなく、奇をてらってもいない。このシンプルな建物の中から、世界を変えるイノベーションが次々と生み出されてきた。新しいキャンパスに移るまであと3年、ITの世界はまだしばらく、このクパチーノの象徴を中心に回ることになるのだろう。

Friday, April 26, 2013

世界のトップを魅了し続けるリチャード・ブランソンの成功哲学は"リスクテイクこそ我が人生"



メディア、音楽、航空、環境、そして宇宙 - 自身が手がけるあらゆるビジネスを成功に導き、Virginグループの総帥として今も世界を駆けるサー・リチャード・ブランソン。起業家であり冒険家でもある彼のリスクテイキングな経営スタイルは、世界中のトップエグゼクティブを魅了し続けており、IT業界もその例外ではない。大手エンタープライズベンダが開催するイベントやカンファレンスでは、しばしば特別ゲストとしてブランソン卿が登場する。4月21日 - 24日に渡りラスベガスで開催された「CA World 2013」では22日のスペシャルキーノートにブランソン卿が登壇し、5000名の聴衆を大喜びさせた。

「偉大な起業家は失敗から多くの学びと成長を得る。リスクは恐れたり避けたりするものではない」「エンジニアはもっと評価されてしかるべき。彼らはイノベーションで世界を変えているのにその評価が低すぎる」「ここにいる人々のほとんどが生きているうちに宇宙旅行に行けると思うよ」「来年の早いうちに家族と一緒にVirgin Galantic号で宇宙に行くつもり」

どんなに大きな夢を描いても、この人が語ればそれは実現可能な目標に変わる。きっと本当に、来年の今頃は「ブランソン卿、宇宙に行く」というヘッドラインがメディアのトップページを飾っているに違いない。

Saturday, April 20, 2013

世界を透明でオープンに - スタート時の理念がそのまま残るFacebookの旧社屋



Facebookが現在の社屋、メンロパークにある旧Sun Microsystemsの本社跡地を拡張、フランク・ゲーリー設計による新たなキャンパスを建設するというニュースを読んで、ふと、パロアルトにあった旧社屋のことを思い出した。

2011年12月に現在の社屋に移転するまで、Facebookの本拠地はカルトレインのパロアルト駅のすぐそば、スタンフォード大学も近いこの場所にあった。パロアルトをはじめ、サニーベール、クパチーノなど国道101号線沿いのエリアは、数多くのIT関連のスタートアップが本拠地に定める地域だ。Facebookも例に漏れず、一見静かな街並みを装いながら、水面下ではスタートアップどうしが激しく潰し合うこの地を創業の拠点に選んだ。その後の躍進についてはここで語るまでもないだろう。

写真は2008年5月に撮影した。このころ、FacebookはCOOにGoogleからシェリル・サンドバーグを迎え、ビジネスを大きく飛躍させている。周囲の環境に調和した、シンプルで機能的な3階建てのビル。正面玄関のガラスには白い「facebook」のロゴ、退屈してそうな警備員がひとりだけデスクの前に座っている。現在はこの社屋を離れ、世界最大のインターネット企業に数えられるようになり、創業者CEOのマーク・ザッカバーグは若き成功者として半ば伝説化された存在となった。だが、パロアルトのこの社屋でスタートしたときに掲げた理念 - 世界を透明でオープンなものに変える、それが世界を公平にするというスピリッツは、新社屋のデザインを見る限り、おそらくいまも何も変わっていない。

Thursday, April 11, 2013

300年後のITの世界を明日の予定のように語る孫正義の予見力

「スティーブ・ジョブスとの仲を取り持ってくれたのはラリー・エリソンだった。Appleを追い出され、スティーブが人生で一番つらい時期を送っていたころ、力になってやってほしいとラリーの自宅で紹介された」- 4月9日、3,000名近い聴衆を集めて行われた「Oracle CloudWorld Tokyo」(於グランドハイアット東京)の基調講演、サテライトで登場したOracle CEOのラリー・エリソンとともに、この日の主役を務めたのはソフトバンク 代表取締役社長の孫正義だった。

ソフトバンクがiPhoneを扱う権利を得たのは、ジョブスと孫の個人的な関係も強く影響したと言われるが、その間に立ったのがラリー・エリソンというのも興味深い。ラリーの自宅には湖かと見まがうような大きな池があり、その淵には何十本もの桜の樹が植えられているという。その桜を眺めながらジョブスとともに未来のコンピューティングについて語り合ったと振り返る孫社長。そこで語られた未来図は一般人では考えつくことのできない創造性にあふれていたことだろう。

「300年後の未来、ワンチップのコンピュータには人間の脳細胞をはるかに超えるトランジスタが搭載される。きっと人間以上に考える能力をもった脳型コンピュータを備えた知的ロボットが登場し、人類が解決できなかったさまさまな問題を解決できるだろう。また紙のように薄いチップをおでこに貼れば、それが脳幹とつながり、ネットワークともつながって、1000km離れた人間ともテレパシーのように会話できるかもしれない」と語る孫社長。ふつうの人間が語れば荒唐無稽の話でも、彼が語ればまるで明日の予定のように強い現実味を帯びて、我々の耳と心に響いてくる。未来を予見する人はそれを作る力も持っている、この人を見るとそう思わずにはいられない。

Friday, April 5, 2013

ケビン・リンチのApple移籍に象徴される5年という時間の長さ



AdobeのCTOを務めていたケビン・リンチ(Kevin Lynch)が同社を離れ、Appleに移籍する - はじめはただの噂かと思ったが、3月20日にはAppleのシニアバイスプレジデントがこれを認めた。すでにリンチのTwitterプロフィールにも"Apple"の文字が踊っている。

2005年にMacromediaがAdobeに買収されて以来、Macromediaの技術トップだったリンチはそのままAdobeでも重要なITアーキテクトとして迎えられ、CTOという高い役職を与えられた。以来、AdobeとFlashの顔として活躍してきたが、最も我々の記憶に残っているのはやはり、iPhoneへのFlash搭載をめぐるAppleとの一連の争いだろう。モバイルには適していないと頑としてFlashのiPhone/iPadへの搭載を拒んだ故スティーブ・ジョブスは「Adobeの技術者は怠け者ばかり」と言い放ち、これを受けてリンチもまた「Appleは19世紀の(米国の)鉄道会社のよう。ユーザにコストがかかる方針ばかり押し付けている」と激しく応戦した。結局、iPhoneにFlashが載ることはなく、それが原因で2011年、AdobeはモバイルFlashの開発中止に追い込まれることになる。このとき、きっとリンチの中で何かが終わったのだろう。

写真は2008年11月に米サンフランシスコで行われたAdobeの年次イベント「Adobe MAX 2008」の基調講演に登壇したリンチの姿だ。当時、AdobeはまだAppleがFlashを向いてくれる望みを捨てていなかった。iPhone上でFlashを動かすためのネイティブアプリを作成し、この講演でデモを披露していたこと、メディアから「いつFlashはiPhoneに搭載されるのか」としつこく訊かれ「Appleに聞いてくれ」とややキレ気味に答えていたことなどを思い出す。「携帯電話から大型スクリーンまで、あらゆるデバイス上でFlashを動かす。それがAdobeの使命」と強く意気込んでいたリンチ。そして5年後のいま、彼は敵対していたはずのAppleに移った。肩書きは不明だが、バイスプレジデントより上であることは間違いないだろう。IT業界の人間にとって、5年という時間は過去を水に流すのに十分過ぎる長さなのかもしれない。

Thursday, March 14, 2013

世界を変え続ける"理念の人"ジミー・ウェールズ



Appleの故スティーブ・ジョブズやAmazonのジェフ・ベゾスのように、世界を変えるモノやサービスを生み出す人がまとうオーラはどこか共通している。やわらかくてやさしいのに、とてつもなく強い。それも、ライバルを圧倒しようとか、絶対に業界トップになってみせるとか、そういうギラギラとした強さではなく、この商品でこのサービスで世界を良くしようという思いからくる強さだ。その理念に心動かされた人々は自然とそのオーラに包み込まれ、気づけばその製品なしでは生きていけなくなっている。

Wikipediaファウンダーのジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)もそうした世界を変えるオーラをまとったひとりである。やわらかい物腰とやさしい語り口、それほど大柄ではないのにもかかわらず、ひとたび壇上に現れれば数千人の聴衆を圧倒し、魅了する。「想像してみてほしい - この地球上のすべての個人が、人間が生み出したすべてのナレッジの集積に自由にアクセスできる世界を(IMAGINE A WORLD IN WHICH EVERY SINGLE PERSON ON THE PLANET IS GIVEN FREE ACCESS TO THE SUM OF ALL HUMAN KNOWLEDGE)」- Wikipediaが掲げるこの理念を実現すべく、彼はその全生涯を賭けて世界の知を集め、届け続けている。

写真は2013年2月27日、サンフランシスコで開催された「RSA Conference 2013」の基調講演時のもの。基調講演の内容はこちらに書いたが、自分がやるべきことをわかっている人は、やってはいけないことも同時に理解しているものだとつくづく思わされた。理念の人という言葉がこれほどふさわしい人は世界にそういない。