2016年がはじまりました。めずらしく1年の最初の日にブログを更新してみます。
1年の始まりに必ず読む文章があります。大学受験に備えていたとき、国語の問題集にあった高村光太郎の「冬」という詩なのですがはじめて読んだときの鮮烈な印象はいまも忘れられません。そして読み返すたびに、いつもいつも違った心持ちを覚えます。自分の変化とともに、この詩が与えてくれるものも毎年変わっているのかもしれません。
冬
新年が冬来るのはいい。
時間の切り替えは縦に空間を裂き
切面は硬金属のようにピカピカ冷たい。
精神にたまる襤褸をもう一度かき集め、
一切をアルカリ性の昨日に投げ込む。
わたしは又無一物の目あたらしさと
すべての初一歩の放つ芳しさとに囲まれ、
雪と霙と氷と霜と、
かかる極寒の一族に滅菌され、
ねがわくは新しい世代というに値する
清楚な風を天から吸はう。
最も低きに居て高きを見よう。
最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。
身も心も切られるような、1年でいちばん寒い時期に新年はやってきます。さむさとつめたさがすべてを"滅菌"してくれる年の始め、ふるい自分という"襤褸"をすべて捨て去り、"ピカピカ冷たい""切面"に最初の足跡を刻む"初一歩"を踏み出そう - この詩はいつも、わたしがどんな状態にあっても受け容れ、包み込んでくれました。個人的にキツいことがつづいた2015年でしたが、あらためて今日、この瞬間から初一歩を踏み出せる気がします。
どうかみなさまにとって、そして世界にとって、幸多い1年でありますように。つらい思いをしている人々のかなしみが少しでも癒えますように。わたしはしがない物書きですが、自分の書くものがほんのすこしでも誰かを力づけるきっかけになることを、そして"新しい世代"の誕生を促す存在になることを願いながら、ただひたすらによい文章を書き綴っていきます。みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。